亀蛇
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◆構造
亀蛇の基本構造は、胴体・尾・首の骨組により構成されている。いずれも材質は杉材である。
組立の際は、胴体に四本の柱を取り付け、自立させておく。胴体と尾の骨組の接合は、主にボルトとナットを用いるが、胴体中央を通る棟木のような部材が後部に突き出ており、これを尾の骨組に差し込んでロープを巻いて固定する。首の骨組は、棒状の部材からなり、竹製の蛇腹とそれを覆う蛇腹の模様を描いた布が取り付けられる。これに亀蛇の頭をボルト等で接合した後、胴体の骨組二ケ所に鉄の輪を吊り下げ、これに通して首を上下させる。この様に組み立てられた亀蛇の構造体に、甲羅部分の布団、亀蛇の足、幕、尾などの装飾が取り付けられている。
亀蛇を担ぐ際の人員構成は五人で、胴体に四人が入って担ぎ、あとの一人が首を持ち、上下させる。
◆意匠
頭部・・型枠に反故紙を張り付け、漆が塗られている。眉の上には貝殻が埋め込まれている。
目は銅板を打ち出して作られたものに、鍍金が施されている。
普段は蓋がされて目立たないが、後頭部に穴があり、組立の際はそこから目をはめ込むようになっている。
胴体・・亀蛇の甲羅は、「布団」とよばれる金欄の布に綿をつめた部材で表現されている。
甲羅の多角形の模様は、断面が丸い畝のように立体的に縁取られている。六角の部分には角に鈴を付けているが、これは動いたときの音による演出をねらったものと考えられる。甲羅の模様を大きく楕円形に縁取った部分もやはり断面が丸い畝のような形であるが両端の太さが大きく異なっている。これは、出町亀蛇保存会の方々への聞き取りによると蛇の頭部と尾部を表現したものといわれる。つまり、この亀蛇は、亀と蛇が合体した神聖な動物であることを表しており、これも特徴の一つとなっている。
胴体の周囲には、「一文字」「腹巻」と呼ばれる幕を二重に巻かれている。
「一文字」は黒地に金糸で妙見神の神紋である「九曜紋」「二引両紋」が立体的に刺繍されている。
「腹巻」は下半分を白地に波頭の模様を描き、上半分から赤く染め抜かれている。これは妙見神を乗せた亀蛇が海からやってきたという説話を表現したものになっている。
足 ・・前足と後足で大きさ・形ともに異なり、前足のほうがやや小さめに作られている。竹を割ったものを編むなどして、大まかな形を作り、指の膨らみを蘭草の束を用いて表している。
この上に和紙を貼り、漆で色付けをしている。甲の部分は緑と黄の間隔の広い縦縞で、平の側は赤くなっている。
尾部・・尾の骨組は、赤く染めた木綿の布で覆われ、赤く染め抜いた麻の繊維でできた毛は、尾の骨組の緑から突き出た多数の金具に取り付けられている。
この長く伸びた赤い毛には、中央の尾部先端に当たる箇所に御幣が付けられている。祭礼時には縁起物として見物人などに配られたり、抜かれるなどして信仰の対象の一つになっている。このようにして少なくなっていく毛は中央から付け足されていくので、端の毛は古く、汚れのためか色が濃く見える。
◆年代
亀蛇の出し物が妙見祭に参加し始めたのは、明和元年から更に遡り、天和・貞享頃と思われる。
しかし、天和・貞享の亀蛇の姿については具体的な記述がなく、「八代紀行」の記述から現代と共通した特徴を持つ亀蛇については、明和元年以前まで遡るといえる。
特に弘化3年の絵巻に描かれた亀蛇の姿は、現代のそれとほとんど変わらない。
以上のことから、亀蛇は、明和・弘化の江戸期から現代に至るまで、様々な造り替え、修理等を受けながらもその姿は変わることなく継承されていると考えられる。
現在は上記の造りからグラスファイバー・アルミなどを使いより軽量化されたものとなっているが、形状はそのままをとどめている。