①まず江戸時代は、公の建築工事をつかさどる役職に作事奉行がおり、その配下の大工や左官などが工事に携わりました。 建物本体は、宮大工が建築したと考えられます。この宮大工に対して、一般の住宅は家大工が作りました。神社仏閣などの特殊な建築は、宮大工によって建てられていました。このほか、屋根は熊本城二の丸から?(こけら=屋根に葺くために板を薄く割ったもの)葺きの職人が派遣されたことが分かっています。
②江戸時代の初め頃、元和8年(1622)の棟札(建築当初の棟上げの時に屋根裏に取り付けられる細長い板で、末長く家運が安泰であることを祈願した祈りの文句を記したり、建築主や大工の氏名、建築年などが記載されているもの。)に当時、八代城の城代であった加藤正方が寄進したことが記されています。また、江戸時代中頃の宝暦3年(1753)の棟札には、細川重賢(肥後細川藩の藩主)と長岡豊之(松井豊之のことで八代城の城主の格付け)の氏名があり、藩主と八代城の城主が、建物を建てるように命じて、寄進したと考えられます。 神社の主要な建物である神殿や拝殿は、藩主や八代城主が寄進したことが分かりますが、手洗舎や石鳥居については、八代町の町人が寄進したものです。町の代表である別当という役職の人や有力者が、大工や石工に依頼して建てさせて奉納しました。
③元禄12年(1699)に拝殿が建てなおされましたが、このとき大方の見積もりで8貫目程が必要になるとの記録があります。8貫目とは、銀が8貫=30kgに相当する額になります。また、石の鳥居が宝暦9年に建て替えの時、銀4貫500目=約17㎏が必要でした。
現在のところ、妙見祭で神輿を担いでヘブル語で歌うということはありません。というより他の出し物も含めて、一部、楽器の演奏を伴うものはありますが、歌を歌うということは一切行われておりません。
ただし、歌ではありませんが、妙見祭の場合「ホイホイ」という掛け声を出すということは広く行われています。
詳しくは本を読んでみないと分からないところもありますが、基本的には神社の祭りなので、最も重要な出し物である神輿を担ぐ際にキリスト教の歌を歌うというのは、考えにくいと思われます。
その本の著者がどのような根拠で書いたかは分かりませんが、可能性としては、八代はキリスト教の殉教地でもあり信者も多くいましたので、妙見祭以外の行事でそのようなことが行われていたのを勘違いしたか、妙見祭の普通の掛け声を、たまたまヘブル語と聞き違ってしまったか…といったところではないかと思います。
少なくとも八代(もしくは熊本県内)でいうところの『九州三大祭』としては、長崎くんち・箱崎宮放生会・八代妙見祭で間違いありません。根拠としては、大正時代以降の新聞にそうした表現が見られます。
年配の方はご存じかも知れませんが、大正~昭和前半頃の妙見祭では大規模な牛馬市が開かれたり、祭りの前後も含めて相撲大会や芝居小屋が立ち並ぶなど、11月始めから月末の塩屋八幡宮の祭りまで、今とは比較にならないほど大賑わいだったようです。これは、最近の民俗調査でも明らかにされていることで、昭和2年の新聞にいたっては「一に妙見、二で放生会、三で長崎~」とまで書かれています。
確かに現在の感覚からすれば、時代の変遷で牛馬市などがなくなり昔ほどの人出は見られませんし、妙見祭以外にも有名な祭りがありますので「どうして?」と思われるかも知れませんが、当時の状況でいえば全く不思議ではなかったわけです。
ともかく、妙見祭に関わる人間としては、これほど豪華で多彩な出し物が登場する祭りは、全国でもそう多くはないと自負しています。これからも、『九州三大祭』に恥じないような賑わい作りの努力をしていきたいと思います。
神幸行列の中の笠鉾9基のうち「菊慈童(きくじどう)」だけは離れて先頭に立ち、どんな雨降りでもこの行列に加わるという古例に従っているのは、宮之町の成立に関連しています。
宮之町という名前の由来は、町内に妙見宮の分社があるからなのですが、そもそもこの町は、豊臣秀吉の天下統一の後、小西行長が麦島の地にお城を築城した際、もと妙見宮の門前町のうち48戸を城下町に移したのが始まりとされています。その後、江戸時代になって、お城が現在の地に移るとともに城下町が移転してからも、引き続き宮之町と称し現在に至っています。
そういった背景もあり、宮之町の菊慈童は他の笠鉾よりも早い時期から妙見祭に参加するようになり、妙見宮との関わりも深いため、他の笠鉾と離れて前を行くと考えられています。
その他の笠鉾については、江戸時代以降に八代城の城下町として成立した地域から順次出されるようになったもので、本町の本蝶蕪から塩屋の迦陵頻伽まで、恐らく参加した年代の古い順に並んでいるのではないかと思われます。
赤・青・黒の三体のお面は、火の王・水の王・風の王とよばれます。
この三つのお面は神のお告げによって並ぶ順番が決まり、来年1年間がどのような天侯の年になるかを占います。赤い火の王が一番前だったら来年は晴天の多い年、青い水の王だったら雨の多い年、そして黒い風の王だったら風の多い年になるといわれています。
順番は神幸行列(しんこうぎょうれつ)のお下り(おくだり)が行われる11月22日の神事において、くじ引きで決定されているようです。
くじ引きの方法などについては、非公開の神事であるため、明らかになっていません。
八代の妙見信仰には、そのような話は伝わっていないようです。