江戸から令和へ受け継がれる伝統、
静と動が織りなす時代絵巻-
江戸時代から380年受け継がれてきた八代の「宝」。
長崎の諏訪神社おくんち、福岡の筥崎宮放生会とならび、
九州三大祭とされるのが八代妙見祭(妙見宮祭礼神幸行列)です。
神輿、神馬、獅子、花奴、笠鉾、亀蛇、飾馬をはじめ、
多彩な出し物から構成される他に類を見ないお祭りは、
平成28年に全国33の「山・鉾・屋台行事」の構成資産の一つとして
ユネスコ無形文化遺産に登録されました。
〈多彩な出し物〉
昔の人々は、笠鉾には神聖な力が宿り、神様の乗ったお神輿が神幸する際、その行く手を清めたり、お神輿にお供して神様をお守りすることができると考えていました。
妙見祭の笠鉾は9基あり、八代の繁栄や不老長寿などを願い、それぞれにおめでたい飾りがついています。
毎年、祭りのたびに組み立て、解体をしています。
部材の数は200~300個あり、釘を1本も使わすに組み立てます。
もともと笠鉾は簡素な造りでしたが、次第に大型化し豪華になり18世紀中頃には現在の姿になったと考えられています。
豪華になったが故に作りかえが難しくなり、修理や改造を重ねながら受け継がれ、江戸時代後期の姿を今に残しています。
笠鉾は各町の保存会により大切に保管されています。
祭り前には組み立ての様子を見学することもできます。
「ガメ」の愛称で親しまれている亀蛇(きだ)は、亀と蛇が合体した想像上の動物です。
およそ1300年前、妙見神(みょうけんしん)が中国から海を渡ってくるときに、この亀蛇に乗ってきたといわれています。
亀蛇は、およそ300年前に出町から奉納されるようになりました。
大きさは、長さ3m、高さと幅が2.5mで、重さは100kg以上もあります。
亀蛇の中には担ぎ手が5人1組で入り、そのうち1人が首を操ります。
首を上下左右に振りながら、ユーモラスな仕草で駆け回るその姿は、祭りの一番の人気者です。
妙見祭の獅子は、中国風の衣装や楽器を用いるのが特徴で、元禄4年(1691年)頃、城下の豪商井櫻屋勘七(いざくらやかんしち)が長崎諏訪大社祭礼(長崎くんち)の獅子を習い伝えたのが始まりで、創作を加えながら中島町の獅子として妙見祭に奉納されるようになりました。
角が2本で胴が赤白の雄獅子(おじし)と角が1本で胴が赤黄の雌獅子(めじし)で1対となり、1匹の獅子に2人が入り、頭と前足、尻尾と後足をそれぞれ受け持ちます。
その息の合った動きはまさに神技です。
玉振り役の子どもとともに、チャルメラやラッパ、ドラ、鉦(かね)、太鼓にあわせて表情豊かに演じます。
獅子に子どもの頭を噛んでもらうと「元気に育つ」といわれ、縁起ものの獅子の周りにはたくさんの人が集まります
神馬は代々、八代城主の愛馬の中から奉納されていました。
その後、田中町から奉納されるようになり、現在は田中町から出されない場合には希望者の中から奉納することになっています。
毎年12月1日に希望者による抽選が行われ翌年の奉納者が決められています。
神馬は、妙見祭に奉納される他の飾馬とは違い、神様のための特別な馬で神事でも重要な役割を担っています。
神馬奉行は神馬の警護の任にあたります。
江戸時代までは八代城警備の鉄砲頭(てっぽうがしら)が神馬奉行を務めていました。
花奴・木馬・鉄砲・毛槍・白和幣・籠・神馬奉行・甲冑武者・大麻・大太鼓・神官・火王・水王・風王・奏楽大太鼓・奏楽・四神旗・紙幣・弓矢・対の槍・御太刀・神輿・長刀・紫翳・菅翳・立傘・斎主・流鏑馬
<神幸行列・お下り/御夜>
(11月22日17:30~20:00)
前日の「御夜」では、本町アーケードには笠鉾が一斉に展示。
一帯でさまざまなイベントが開催されます。
<飲食・縁日ブース>
イベント当日は、八代神社(妙見宮)・宮地小学校を中心に、
当日は多くの飲食店や縁日ブースが祭りに彩りを加えます。
是非、お子様連れでもお越しください。