1.獅 子(しし) |
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獅子舞は、元禄時代の八代城下の豪商・井桜屋勘七が妙見祭に取り入れたのが始まりと伝えられています。井桜屋勘七は商いのために長崎へ出向くことが多く、その際に目にした長崎諏訪神社の「おくんち祭」の羅漢獅子舞を大変気に入り、何とかこのすばらしい踊りを妙見祭に取り入れたいと思いつづけていました。
ある時いつものように商いのため船に乗っていた井桜屋勘七は、長崎沖合いで激しい嵐に出会い、異国近くまで吹き流されました。船は今にもひっくり返りそうになり、勘七は日頃信心している妙見の神様を必死に伏し拝みました。すると、不思議にも目の前に神様が現れ、いつも信心するご褒美にと獅子舞の作法を勘七に授けて下さいました。
いつのまにか嵐はすっかりおさまり、波も穏やかになりました。勘七は神様のあとを伏し拝み、忘れないようにこの舞い方を書き留めました。
勘七はほどなく八代に帰ることができ、さっそく道具をそろえ、舞い方をいろいろ工夫した後、元禄4年(1691)に初めて祭礼に奉納しました。
雄獅子は角が2本で赤と白の衣装をつけ、雌獅子は角が1本で赤と黄色の衣装をつけています。 |
2.花奴(はなやっこ) |
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花奴は、宝暦2年(1752)に松江村の虎右衛門によって創設されたと伝えられています。
先頭の二人が持っているのは、城主の衣装を入れる挾箱です。次は雨が降ったときに城主に差し掛ける立傘です。最後は城主の「かぶり傘」を乗せる丸い台傘で、黒い布に覆われています。 |
3.木 馬(きんま) |
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木馬は江戸時代、八代城下に住む七五三を迎えた商人の子どもによって12頭奉納されていました。
昭和62年に絵巻物どおりに復元されました。 |
4.鉄 砲(てっぽう) |
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絵巻物に従い40挺の鉄砲を肩に担ぐ鉄砲隊が平成2年に復元されました。 |
5.毛 槍(けやり) |
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絵巻物に従い24本の長柄槍を持つ毛槍隊が平成2年復元にされました。 |
6.白和幣(しらにぎて) |
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御幣を手に持った老若男女の一団です。絵巻物に従い平成10年に復元されました。 |
7.籠(かご) |
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籠の中には稚児が入り、愛嬌を振りまきます。ふるさと創生事業により平成2年に復元されました。 |
8.笠鉾1 菊慈童(きくじどう) |
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菊慈童とは古代中国の皇帝のもとに仕えた少年で、ある山奥で菊の葉したたる水を飲んで仙人となり、七百歳になっても子どものように若々しかったことを祝ったものです。
宮之町は他の町より由来が古く、どんなに悪天候でもこの菊慈童だけは最後まで行列に出なければなりません。
松井家文書によると、元文3年(1738)のそれまで一人持ちの笠鉾であったものが、菊慈童の作り物を乗せた4人持ちの笠鉾になった記録があります。 |
9.神 馬(しんめ) |
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神馬は代々、八代城主の愛馬の中から出されていました。その後、田中町から奉納され、現在では田中町から出ない場合毎年12月1日希望者の中から抽選を行い、翌年の奉納を決めています。 |
10.神馬奉行 |
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11~14.甲冑武者・大麻・大太鼓・神官(かっちゅうむしゃ・おおぬさ・おおだいこ・しんかん) |
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15.阿須波神(あすはのかみ) |
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16.火王・水王・風王(ひのおう・みずのおう・かぜのおう) |
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赤・青・黒の三体のお面は火王・水王・風王とよばれます。この三つのお面は神のお告げによって並ぶ順番が決まり、翌年1年間がどのような天候の年になるかを占います。赤い火王が一番前だったら来年は晴天の多い年、青い水王だったら雨の多い年、そして黒い風王だったら風の多い年になるといわれています。 |
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17~18.奏楽大太鼓・奏楽(そうがくおおだいこ・そうがく) |
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太鼓・横笛・篳篥で「越天楽」を奏でています。 |
19.四神旗(ししんき) |
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四神とは青竜、朱雀、玄武、白虎。 |
20~23.紙幣・弓矢・対の槍・御太刀(しへい・ゆみや・ついのやり・おんたち) |
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紙幣に続きます弓矢・対の槍・御太刀の皆さんも平成2年から行列に復元参加。 |
24.神 輿(みこし) |
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神輿は寛永12年(1635)3月に、時の八代城主細川忠興公が妙見宮に奉納されたもので、内外に金箔を張り、天井には忠興公直筆の龍の絵を配するなど、たいへん豪華なつくりで、江戸初期のはつらつとした武家文化をみることができます。
妙見宮のご祭神である天御中主神と国常健命のご分霊が、この神輿に移られる御霊うつしの儀は前々日の深夜、八代神社で行われます。祭礼で奉納する氏子の皆さんは八代市郡の10の町内で、一年交代で順番に奉仕しています。 |
25.長 刀(なぎなた) 26.紫 翳(むらさきさしは) 27.菅 翳(すげさしは)2 8.立 傘(たてがさ) |
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29.斉 主(さいしゅ) |
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祭礼をつかさどる妙見宮宮司。 |
30.笠鉾2 本蝶蕪(ほんちょうかぶ) |
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本町。
笠鉾の上に「本」という文字、「あげは蝶」そして「蕪」が飾られ、本町の商売繁盛と子孫の繁栄などを表しています。 |
31.笠鉾3 蘇鉄(そてつ) |
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二ノ町。
蘇鉄は不老長寿と火よけ、そして起死回生を祝う霊木とされ、優れた人物があらわれ、土地や家門が繁栄する証として飾られています。 |
32.笠鉾4 西王母(せいおうぼ) |
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通町。
西王母は古代中国の神話の中で崑崙山という西の果ての山に住み、不老不死の薬を持っているとされている仙人で、人々の不老長寿を表しています。 |
33.笠鉾5 猩 々(しょうじょう) |
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紺屋町。
猩々は中国揚子江に住む想像上の動物で、どんなに汲んでも尽きることがない酒壷をもち、親孝行をする者に褒美としてその酒壷を与えました。 |
34.笠鉾6 蜜 柑(みかん) |
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中島町。
蜜柑は一つ食べると千年も寿命が延びるというめでたい食べ物とされ、八代蜜柑は江戸時代に細川家から宮中や将軍家へ、正月の献上品となっていました。 |
35.笠鉾7 恵比須(えびす) |
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徳渕町と渕原町。
福の神の恵比寿が、釣り上げた大きな鯛の上に乗っている姿は、豊富な海の幸と幸福を表し、港として栄えた徳渕町の歴史を物語っています。 |
36.笠鉾8 松(まつ) |
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平河原町。
松は「相生の松」とも呼ばれ、夫婦ともに白髪が生えるまで長く、そして仲むつまじく暮らせることを願っています。 |
37.笠鉾9 迦陵頻伽(かりょうびんが) |
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塩屋町。
この羽根を大きく広げた迦陵頻伽は、極楽にいる大変美しい鳥です。この世が極楽さながらの世界でありたいという願いを表しています。 |
38.流鏑馬(やぶさめ) |
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妙見宮祭礼絵巻にも登場する流鏑馬について、後継者の育成を図り保存継承を行なうため、平成25年に復元されました。 |
39.亀 蛇(きだ) |
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出町。
八代ではガメの愛称でしられるこの「亀蛇」は、亀と蛇が合体した想像上の動物です。その昔妙見の神様がはるか中国からこの亀蛇に乗って海を渡ってこられ、現在の竹原神社あたりの「竹原の津」に上陸されたという伝説にちなんでいます。 |
40.飾 馬(かざりうま)花馬(はなうま)とも言う |
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飾馬は江戸時代には八代城内から12頭が毎年出されていましたが、明治以降はそれぞれの町内からの奉納となり、近年では高校の同窓会や地区の団体等からの奉納となっています。
飾馬の順番は、当日朝6時に抽選で決めます。 |